〒530-0001 大阪府大阪市北区梅田2-2-2 ヒルトンプラザウエスト19階
・中小企業財務コンサルタント/経営コンサルタント(社長の財務参謀)
(単なる机上の空論ではなく、豊富な現場経験と卓越した理論を組み合わせて、中小企業社長がお悩みの財務問題の現実的にベストな解決方法を導き出し、さらに会社の経営問題を解決に導きます)
~中小企業の財務・資金繰り問題解決・金融機関対策・経営問題解決・社長の財務会計教育、経営教育・~
所属団体:
資格:
・BIG4大手監査法人での経験
株式上場コンサルティングと会計監査業務を担当。その後、税理士事務所で中小企業の決算業務を行い、中小中堅企業複数社の財務経理責任者を歴任。さらに経営コンサルティング会社で事業再生コンサルティングを経験し、2002年に独立。
・独立後の実績
独立から22年で、2500社以上の中小企業社長の相談を受け、300社以上の企業で資金繰り改善・財務改善・経営改善の実績を積み重ねる。
・多角的な経験と強み
大企業から中堅企業、中小企業、小規模企業まで、あらゆる規模と業種の企業に対応。特に修羅場とも言える状況を含む現場での多様な環境での経験を活かし、多角的・複眼的なコンサルティングを提供。
・専門分野
『中小企業の財務改善・銀行対策、資金会計・管理会計のプロフェッショナル』
・有限会社エーエスシー設立
2002年に有限会社エーエスシーを設立し、代表取締役に就任。開業の動機は、「企業は資金がなくなれば倒産する」という現実を多数経験し、中小企業社長の9割が財務と会計に弱いこと、顧問税理士が企業財務に弱く経営状態を把握していないケースが多いことを痛感。中小企業が資金不足で困ることを未然に防止するために、特に社長の財務指導を行う必要性を感じ、財務改善と経営改善を生涯の仕事とすることを決意。
・具体的な成果
独立後22年間で、2500社以上の中小企業社長の経営相談を経験。300社以上の企業に対して、資金繰り改善、財務改善、黒字化コンサルティングを実施。例えば、クライアント企業の年商を2.3倍、経常利益を5.7倍、資金残高を9.8倍に拡大するなど、多くの成功事例を生み出し、高い評価を得ている。(2024年3月現在)
・教育活動
「社長向け決算書の読み方セミナー」「資金繰り改善セミナー」で、本音で勝負し、わかりやすい解説が人気を呼んでいる。
実家は兵庫県中部の多可郡というところで、家業として先祖代々旅館を経営していました。地元では名が通っていた旅館だったそうで、生活は超裕福だったとのことです。ところが約100年前の1920年代、曾祖父と祖父の時代に、経済不況によって経営危機に陥り、旅館は倒産してしまいました。家業を継ぐ予定だった祖父は倒産により働き口を探して大阪に出てきました。それまで裕福だった一家の生活は一転、超貧乏な生活を強いられて、祖父は過労から早死にしました。一家の大黒柱を失った後、祖母の頑張りで父は何とか旧制中学まで進学できてその後会社に就職できました。父はまた会社に就職後、昭和20年に陸軍に招集され、赴任先の広島で原爆に被爆しますが、当日の朝命令により爆心地からほんの僅か2km超の距離があったところを歩いていたために、奇跡的に負傷したものの生きて帰りました。死んでいたらもちろん私は存在しません。
超貧乏な家庭から這い上がり、生涯真面目なサラリーマンであった父は、この一連の話を子供の頃から何百回も私に語って「事業が倒産した後の一家の悲惨な生活」を話してくれました。当時の私には父がこの話しを何度も語る真意がよくわかりませんでしたが、私には「倒産はいけないことだ」と言うことが心に深く刻み込まれました。
父は私を含めた家族を守るため、ずっと堅実で真面目な会社員でした。毎日朝7時に出て夜7時半に家に帰ってきました。日曜日も、好きでもない苦手な接待ゴルフで毎週仕事でした。子供時代に私はほぼ遊びに連れていってもらった事はありません。父を見ていた子供時代の私には「サラリーマンは嫌だなあ、自由がないな」という思いが植えつけられました。あとでわかった事ですが、父は家業の倒産が悔しくて本当は自分も家業を継いで事業をやりたくて仕方なかったようです。その叶えられない夢を私に叶えて欲しかったようでした。そのために父は家業の倒産の話しを何度も私にしてくれたのでした。
大学時代になって、私は特に意識することなく何となく大学図書館で独学で経営の勉強を始めました。その時にP・F・ドラッカーの思想に初めて触れました。私が最初に触れたドラッカーの書籍は、「現代の経営」です。とても難解で、もちろん当時の私ではその意味が完全には理解できませんでしたが、何となく他の書籍とは違うその素晴らしさに感動を覚えた事を記憶しています。そこにはこう書かれていました。「企業の第一の責任は存続することである」この言葉によって、子供の頃に父から聞いた倒産の話しと、ドラッカーが語る経営(マネジメント)の本質の話しが現実に結びつきました。私は将来ドラッカーのように多くの企業経営者と出会い、会社が抱える倒産の問題を解決したいという思いが心の中に芽生えてきました。
しかし、私は大学(経済学部)在学中、大学の勉強に全く興味が湧かずに、学校の勉強もせず、クラブ活動もしない全く駄目な無気力学生でした。学生生活は肉体労働のバイトと大学図書館の往復でした。大学の授業で唯一興味を持ったのが、当時私が通っていた大学では経済学部でも選択できた、経営学部の科目である「簿記論」でした。しかし簿記論も単位はとったものの、当時は簿記ができた16世紀のイタリアの経済とか、簿記のほんの入り口の箇所しか理解できていませんでした。そんな状況で、とにかく大学卒業時の成績は卒業できるかどうかのすれすれで最悪でした。さらに当時私は中3の時のいじめを受けたことに端を発する極度の対人恐怖症によって、面接で満足に話しが出来ないという弱点が重なりました。就職試験に100社以上も落ちて、結局就職できませんでした。
しかしもうこれが最後のトライだと思って、ある会計事務所を受けた時の事です。会計事務所の所長で大学OBの公認会計士・税理士A先生から「うちでは残念ながら不合格です」「しかし君は公認会計士の資格を取って人生一発逆転しなさい。それが君に向いている」「ただし合格まで5年~10年かかるから覚悟しなさい」とアドバイスを受けた事が私の人生の大転換点でした。「もうこれしかないな」と思いました。
大学卒業後、同級生は皆スーツ姿のサラリーマンでしたが、私は昼間は現場の油にまみれた工場労働者などをしながら夜学で簿記の勉強をしていました。6ヶ月間で日商簿記1級に98点で合格し、その後、工場や警備員や土木作業など現場の仕事の転職を繰り返しながらも、公認会計士試験に何度も挑戦しました。周りの会計士受験生はお金持ちが多かったのですが、うちは貧乏なサラリーマン家庭。大学まで出してくれた上にさらに親に迷惑かけるわけにはいきませんでした。昼間現場の仕事をしながら会計士の勉強をするのは当時は地獄のような苦しさでした。睡眠時間は毎日3時間~4時間でした。
4回目の公認会計士試験不合格発表の後の事でした。ある日私は阪急電車の踏切に無意識にふらふら近づいて行き、気づいた時には電車が接近しようとしている踏切に入ろうとしていたのでした。私が踏切を超えようとする正に直前、耳元で誰かの声が聞こえたように思えました。その瞬間私は我に返りました。「私は一体何やってるのか」間一髪のところで私は救われました。何とか、家族と世間に沢山の迷惑をかけずに済みました。
そしてその後はまた、前と同じように地獄のような仕事と受験の繰り返しの生活を続けました。しかしその後、良いこともありました。現場の仕事を繰り返しているうちに、いつの間にかあれほど苦しんでいた対人恐怖症も治ってしまい、まともに人と話しができなかった私が、何と今度は「飛び込み営業」もできるようになったのです。人間本気で必死になれば何でもできることを学びました。そうして転職を繰り返しながら、5回目の受験後にBIG4監査法人にスカウトされました。
監査法人では3年間、会計監査や株式上場コンサルティングの実務につきました。監査法人の経験はとても勉強になりました。しかし私にはどうも大企業の会計監査という仕事がしっくり来ませんでした。
それより私は会計士の受験勉強中に現場の仕事で大変お世話になった中小企業の社長のため何とかお役に立ちたいという思いと、かって父が何度も話しをしてくれた「家業の倒産」の話しが合わさって、私の心の中は、中小企業の経営を何とかしたいという思いの方が強烈に勝ったのでした。そこで目指していたエリート公認会計士の道は敢えてやめて、泥臭い経営コンサルタントとしての独立を決意しました。
しかし最初の独立では成功しませんでした。大企業の経営と中小企業の経営は全く違うことをこの時初めて知りました。
そこで、私は中小企業の実務での実力をつけるために、2つの税務会計事務所や3社の中堅中小企業財務の責任者及び経営幹部として勤務しながら財務・経理・経営の経験を積みました。最後は事業再生の経営コンサルタント会社で中小企業の事業再生に励みました。その後再度の独立に挑戦し、後に病気で亡くなった友人の公認会計士O君等の仲間の応援もあって、2002年に有限会社エーエスシーを設立しました。
私に人生の方向性を教えてくれた父は2011年にガンで亡くなりました。仕事に夢中で親孝行もほとんどできなかったことが心残りです。
独立以来、私は2500社以上の中小企業社長の相談に応じ、300社以上の企業の資金繰り改善や財務改善に成功しました。
例えば、クライアント企業の年商を2.3倍、経常利益を5.7倍、資金残高を9.8倍にするなどの実績を残しました。
しかし自分ではまだまだ、これからだと思っています。
これからさらに多くの、毎日毎日苦しみ、悩みながらも、未来への大いなる希望を生きがいに、悪銭苦闘されている真面目な中小企業経営者を助けて、中小企業の財務経営を良くする仕事に邁進するつもりです。
・座右の銘
「人間万事塞翁が馬」「ピンチはチャンス」「自利利他」「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
・尊敬する人物
渋沢栄一、中村天風、松下幸之助、ピーター・F・ドラッカー、野村克也、稲盛和夫
・座右の書
「論語と算盤」(渋沢栄一)、 「成功の実現」「運命を拓く」(中村天風)、 「経営者の条件」「現代の経営上下」「マネジメント」(ピーター・F・ドラッカー)、 「競争の戦略」「競争戦略論」(マイケル・E・ポーター)、 「道はひらく」(松下幸之助)、 「生き方」「稲盛和夫の実学」(稲盛和夫)
・趣味・好きなもの
読書(毎月20冊)、街歩き、神社仏閣巡り、絵画、鉄道、ざるそば、コーヒー、ネコ
・嫌いな人・苦手な人
時間に遅れる人、ズルい人、正直でない人