代表者プロフィール

遠藤 信行 プロフィール

肩書

有限会社エーエスシー 代表取締役                  社長の財務パートナー/社長の会計コーチ

『中小企業の資金繰り財務、管理会計の専門家』

経営コンサルタント                      ファイナンシャル・プランナー(AFP)             日本商工会議所簿記1級    大阪商工会議所簿記検定審査委員

 

経歴

 

大阪府生まれ。

1984年大学卒業後、営業職・現場職などを経て、1989年 ビッグ4大手監査法人に入所。上場企業の会計監査および株式上場支援コンサルティングなどを行う。

経営コンサルタントとしての独立を経て、税理士事務所に入所。        この頃に中小企業社長には共通してお金の悩みがあることを知る。

その後中小企業の経理財務部長・中堅企業の経営幹部を経て、コンサルティング会社に入所。コンサルティング会社では事業再生案件に多数携わる。

2002年独立して有限会社エーエスシー設立 代表取締役就任。

独立後19年間で、2000社以上に及ぶ中小企業社長の財務相談と、トータル230社を超える中小企業に資金繰り改善・財務改善・黒字化コンサルティングを実施。クライアントを年商2倍・経常利益3.5倍・資金残高5倍へ拡大するなど、中小企業の売上改善と財務改善に貢献する。

同時に「社長向け決算書の読み方セミナー」「資金繰り改善セミナー」で、型にはまらない、本音で勝負の、わかりやすい解説が人気を呼ぶ。

『財務・経営の実務と指導のプロフェッショナル』

『強者を倒し、弱者を伸ばすことに生きがいを感じる』

『筋道を通すこと。逆に筋の通らない話に、ガッツが出る』

 

常に心がけていることは、

『初回の財務相談で、来ていただいたすべてのお客様に対して、お客様のお困り事を丁寧に「聞く」ことと、丁寧に「質問」ことに徹すること』。

初回の相談だけで、お客様のお悩みが、一気に解決してしまうことも珍しくはない。

 

過去2000社余りの中小企業の社長の財務相談に乗った経験上、お金に悩む社長の共通点は、『社長が会計や財務の知識に弱く、会社の数字を経理や顧問税理士任せにすればよいと勘違いしていて、試算表をしっかり読まず、資金繰り表もつけず、もちろん経営計画も立てず、銀行との正しい付き合い方も知らない』と認識する。

これは社長の関心が、売上をあげることと、製造現場のこと等に集中し、本来やるべき経営の仕事をしていないからだとして、『社長の意識が変わって、社長が経営に必要な財務と経営スキルをマスターしさえすれば、どの会社も必ず良くなる』と結論づける。

 

上記の認識を踏まえて、遠藤の財務コンサルティングの特長は『社長に最低限の財務の知識・スキルを実践で習得してもらうことこそが最も大事』との考えより、一般のコンサルタントのように、コンサルタント側から一方的にコンサルするのではなく、「社長の財務パートナー」として、社長と共に財務問題の解決にあたるところにある。

 

実務の傍ら10年に及ぶ講師経験と、20年以上に及ぶ社長の個別指導経験から、独自に開発した『遠藤メソッド』によって、「数字に弱い社長が自社の決算書をスラスラ読み解き、資金繰り表を作成し、自社の経営計画を策定して実行する技術習得まで、コーチングにより伝授」する、「社長の会計コーチと」しても活躍中。

 

所属

大阪商工会議所
納税協会
日本ファイナンシャル・プランナーズ協会
大阪簿記会計学協会
社団法人心学明誠舎(石田梅岩)

プライベート

 

【座右の銘】
「自利利他」「ピンチはチャンスなり」

【尊敬する人物】
渋沢栄一 松下幸之助   ピーター・F・ドラッカー  稲盛和夫氏


【座右の書】
「論語と算盤」(渋沢栄一)「マネジメントー課題、責任、実践ー」(ピーター・F・ドラッカー)「競争戦略論Ⅰ・Ⅱ」(マイケル・E・ポーター」「道はひらく」(松下幸之助)「生き方」「稲盛和夫の実学(会計と経営)」(稲盛和夫)


 

【開業までの動機・人生の道のり】 

 

(1959年子供時代~1984年大学卒業)                 

約100年前、曾祖父、祖父の時代に家業の旅館業がスペイン風邪を起因とする不況により経営に失敗。最後は騙されて倒産したことを子供時代にサラリーマンだった父から何百回も聞かされる。それ以来企業経営に強い関心を持つ。同時に、将来多くの企業経営者に会いたいと思うようになる。

小学校では野球に精を出し、中学ではテニス部で副キャプテン。クラスでは常に成績トップクラスの優等生。しかし順風だったのが中2まで。中3の時、ほんの些細なことからクラスで孤立。気が付くと優等生から脱落。高校受験で志望校受験にも失敗。ここで自暴自棄になって一気に精神的に転落。人生の目標を失う。しかしまじめで厳格な両親の教育のおかげにより、辛うじてワルの道には進まず。

当時の自分は、ちゃんと育ててくれた両親には恥ずかしいほどどうしようない人間で、しぶしぶ入った高校時代の唯一の取柄?は読書。学校の勉強に全く関心がなくなり、授業中(笑)と高校図書館で手当たり次第に本を読む。ここも唯一読書があったことにより辛うじて完全転落の道は救われる。

しかしながら、そもそも学校の勉強をほとんどしていないことがたたり、こんなバカを大学まで行かせてくれた両親を裏切って、高校卒業から大学卒業まで6年かかる(泣)

大学はジャパネットタカタ創業者の高田前社長と同じ(学年は全く違います(笑))大阪経済大学の経済学部。なんとか大学は卒業はできたものの、学業成績不良などが響いて就職試験に全部失敗し、卒業後行き場を失う(泣)最後の手段として資格試験に活路を見出そうとする。

 

 

(1984年大学卒業後~1989年監査法人入所)

大学卒業後バイトしながら夜間の簿記学校に通うという、もう崖っぷちを超えて追い詰められ、ここでやっと覚醒する。2か月で簿記3級100点、簿記2級100点で同時合格。6か月後の簿記1級は1問不正解の98点で合格。簿記1級は大阪商工会議所で第2位の高得点を獲得。

当初、簿記の資格を取って会計事務所に就職する予定が、ここで色気が出る。その後営業職や現場職などの職を転々として生計を立てながら(例 営業は英会話教材の訪問販売他。現場はビルの空調工事助手や夜間警備員・工場労働者など多種)公認会計士の受験をする。しかし公認会計士の難易度は半端ではなく、自立神経失調症になるなど一時は泥沼から抜け出せず、結局5回も受験。5年後5回目の模擬試験で合格可能性が80%となる。その時点でビッグ4大手監査法人にスカウトされて監査法人に入所。

結局その後3年間、監査法人で会計監査と株式上場支援の仕事をする。監査法人では会計法規などの法律の条文を参照しながら、会計帳簿と証拠書類の突合せを行って、報告書を書く作業を繰り返す。また新規株式公開会社の上場支援の仕事もする。

しかし会計監査の実情は、単調で刺激のない「超」がつく地味な仕事であり、当初思っていた華のある仕事ではなく、超〃難関の公認会計士試験の難易度との間に大きなギャップを感じた。また当初描いていた大企業のトップに会うことなど夢のまた夢だと知る。

公認会計士の人達の大半は、会計以外の世間を知らない「エリートぼっちゃん集団」で、繊細でプライドが異様に高い「会計バカ」。どろ臭い経営の追求をを志向する私は、この方々とは鳥肌が立つほど肌が合わず(笑)、「ここは違う!」と思い、監査法人を退所。

しかし監査法人で、成功した大企業の経理の仕組みと高度な会計を学んだことは以後の仕事にとても役立った。監査法人の幹部・先輩・同僚には感謝!

 

 

(1992年監査法人退所~1995年経営コンサルタントと事業の失敗)

監査法人退所後、経営コンサルタントとして一旦独立したが、中小企業には、大企業の経営理論・会計財務のセオリーがほとんど役にたたずに大苦戦。コンサル以外に、当時はまだなかった経理の人材派遣業も行う。

またその頃出始めた携帯電話の販売店も行う。          しかし携帯電話がまだまだ大きくて、価格も高くてほとんど売れない(笑)

結局コンサルタントと人材派遣、携帯販売店含めてどれもうまくいかずに2年で撤退。

しかしやめて1年後、折りたたみ式で小型化に成功した米国モトローラ社製の携帯電話が日本でもバカ売れしているのを知る(笑)

ここで商売とは、「読み」と「タイミング」と「継続」だと学ぶ。

 

(1995年税理士事務所~2000年企業財務経理)

その後税理士事務所に就職する。

税理士事務所では25件のクライアントを持ち、小規模企業の決算と税務申告と法人保険の営業を行う。ここで小規模事業の経営者の話しをたくさん聞けたことが一つの転機となる。わかったことは、中小企業社長は決算書作成や税務申告より、「お金の問題」に関心があり、ほとんどの社長はお金で苦しんでいることを知る。

その後税理士事務所の元先輩に誘われて転職し、社員30人クラスの中小企業の財務経理部長を経て、200~300人クラスの中堅企業財務経営幹部として、非上場同族企業の財務と経営の実務を経験。

30人クラスの財務経理部長の時は、銀行を徹底的に研究。巧みな銀行交渉による資金調達と、外国為替の運用によって会社の収益アップに大きく貢献する。またIT活用による経理の効率化を行って大幅なコストダウンを実現。社長の評価を大きく上げる。

しかしある時、あまりにもひどい銀行のやり方に怒り心頭、メガバンク支店長を呼びつけ、自社の応接室で土下座させる。しかしその後銀行から「倍返し」を受けて、逆に私が退職に追い込まれる。

ここで「どんなに腹が立っても銀行とは決して喧嘩してはならない」ことを学ぶ。

200人~300人クラスの建材卸しの中堅企業在職時には、売掛金、在庫 、固定資産、借入金の削減等、財務の大手術を伴う経営の大改革に携わり成功させる。改革の途中に社内ナンバー2の取締役営業部長と、ナンバー3である取締役経理部長の、2人の幹部の社内大不正を暴く。その功績により、社長から後任の取締役のポジションを勧められたが、理由は何であれ、人を追い出した後の席につくのは性に合わないため、丁寧にお断りして自身も退職。

 

 

(2000年~2002年経営コンサル会社事業再生コンサル)

その後、ある上場準備企業の就職面接で、面接官の1人としておられた著名な経営コンサルタント会社の代表に気に入られ、強引にスカウトされる。

バカな私は(笑)、結局上場準備会社(現在一部上場企業)の幹部の話しを断って、代表のいる経営コンサルティング会社に入社する。

 

経営コンサルタント会社では倒産寸前の事業再生案件に多数携わる。

一例として、社歴95年・社員300名超の名門製造メーカーが債務超過に陥り、銀行が貸金回収に来るという大ピンチな状況で関与。会社再建計画を立案して、銀行と交渉して貸金回収をストップさせる。    また工場現場の5Sの断行による改善とともに、工場の旧態依然とした原価計算制度をぶっ壊して経理財務を立て直し、その一方で新商品開発のために、メインバンク他数行と新規借り入れ交渉を成功させて資金を投入して、事業を再生させる。

他、2年間で実績は30数件以上。

 

(開業の動機)

税理士事務所時代には、クライアント先の社長の共通の悩みが「資金」であることを知るが、税理士事務所(会計事務所)は、記帳代行・税金計算・節税対策・法人保険販売が主で、クライアントの「資金の悩み」というニーズには全く答えられていないと感じ、ここに中小企業改善の盲点があると思った。

 

また経営コンサルタント会社時代に、事業再生コンサルに携わる中で、資金が枯渇して倒産寸前の企業の悲惨な実情を多数経験して、このような状態になる中小企業経営者が、あまりにも「お金」「銀行」など関する知識のないことを憂い、中小企業社長に対する『お金の教育』の必要性を感じた。

 

以上の経験によって、

結局のところ企業は資金がなくなれば倒産する』という現実を多数経験して、中小企業が資金不足で困ることのないように、社長の財務指導をすることの必要性を強く感じたために、財務改善を生涯の仕事にしようとして』開業することを決意。

2002年11月18日開業。

 

 

【趣味、好きなもの】

 街歩き。特に神社仏閣のパワースポット巡り。

 乗り鉄、温泉、ネコ、ホットケーキ

 

 

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